浦上天主堂(カトリック浦上教会)
この目的地について
浦上は潜伏キリシタンの村でした。1865年に村人たちが大浦天主堂で信仰を打ち明けてから2年後、浦上四番崩れと呼ばれる弾圧が始まり、3394人が全国の諸藩に流され、1873年に禁教の高札が撤去されるまでに600人以上が亡くなりました。帰郷した信徒たちは1895年、かつて絵踏が行われた庄屋屋敷の跡地で天主堂の建設に取りかかりました。赤れんが造りの天主堂は、1925年に双塔が完成して姿を整えます。1945年8月9日、原子爆弾が約500メートル先で炸裂しました。天主堂は倒壊し、信徒約1万2000人のうち約8500人が亡くなりました。現在の聖堂は1959年に再建され、1980年にれんが張りに改装されたものです。北側に回ってみてください。重さ約50トンの鐘楼のドームが、土手下の川に滑り落ちたままの姿で残っています。同年10月に瓦礫の中から見つかった祭壇の聖母像の焼け焦げた頭部は、天主堂横の小聖堂に安置されています。
所在地
訪問者情報
クレジットカード: 不明
アクセス
1-79 Motoo-machi, Nagasaki 852-8112
道順を表示よくある質問
路面電車で浦上天主堂へはどう行きますか?
長崎駅前から赤迫行きの路面電車で松山町まで行き、徒歩約10分です。最後は上り坂になります。平和公園からなら徒歩約10分です。
聖堂の中に入れますか?注意点はありますか?
入れます。見学は無料で、9時から17時まで無休です。見学者は通常、聖堂の後方までとなり、帽子を脱いで静かに過ごします。堂内の撮影は原則禁止です。ミサなどの典礼が見学より優先されます。
倒れた鐘楼と被爆マリア像はどこにありますか?
直径5.5メートル、重さ約50トンの北側の鐘楼ドームは、1945年8月9日に落ちたまま、敷地北側の土手下の川にあります。国指定史跡「長崎原爆遺跡」の一部です。1945年10月に瓦礫の中から見つかった聖母像の頭部は、2005年から天主堂横の小聖堂で公開されています。
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