この目的地について
足利義政がこの山荘を建てたのは1482年、応仁の乱の焼け跡がまだ残る京都でした。将軍としては政より数寄を優先したと批判されますが、庇護者としての功績は別です。茶の湯、立花、能、書院造という日本文化の骨格は、この山荘を囲む人々のあいだで形になりました。義政の死後に禅寺となり、正式名を慈照寺といいます。
銀閣に銀は使われていません。2007年の調査でも銀箔が施された痕跡は見つかっていません。計画があったとしても資金とともに消えました。残っているのは池に臨む二層の漆塗りの木造建築で、年月を経て黒ずんだ姿はむしろ好ましく見えます。もう一つの現存建物である東求堂には四畳半の同仁斎があり、日本のあらゆる茶室の原型とされます。
銀閣の前には白砂を段状に整えた銀沙灘が広がり、その脇に高さ約180センチの円錐台、向月台があります。この盛り砂が何を意味するのかは分かっていません。月を眺めるためという説は人気がありますが、後世のものと考えられています。
順路は一方通行で所要40分ほど。苔の斜面を登ると京都の家並みを見下ろす展望があり、そのまま出口に下ります。拝観料は500円。道幅が狭く団体バスの定番でもあるため、10時から15時は列に従って進むことになります。開門直後はまったく別の場所です。門前からは哲学の道が始まり、疏水沿いに南へ約2キロ、南禅寺まで続きます。次に向かうならここです。
所在地
訪問者情報
アクセス
〒606-8402 京都府京都市左京区銀閣寺町2
道順を表示よくある質問
銀閣寺が実際には銀色でないのはなぜ?
銀閣寺に銀箔が貼られたことは一度もありません。8代将軍・足利義政が銀箔張りを計画していたが完成前に亡くなったとする説と、もともと銀箔の予定はなく、金閣寺との対比で後に「銀閣」と呼ばれるようになったとする説があります。風化した木目はわび・さびの美学を体現しており、日本ならではの美意識を伝えます。
銀閣寺と哲学の道を一緒に回るには?
朝8時30分の開門に合わせて銀閣寺からスタートし、南へ哲学の道(2km、徒歩30〜45分)を歩いて南禅寺か永観堂で終えるのが定番です。京都駅から市バス5系統で「銀閣寺道」下車。4月上旬の桜と11月中旬の紅葉が特に美しい時期。南禅寺観光後は蹴上駅から地下鉄で市内へ戻れます。
銀閣寺は金閣寺より空いていますか?
概してそうです。団体ツアーが少なく、より静かに鑑賞できます。8時30分の開門直後と夕方が特に空いています。金閣寺のような一点集中の撮影スポットではなく、苔庭、銀沙灘・向月台といった砂盛り、山道を巡る回遊式の境内なので、人が自然に分散します。
銀閣寺の拝観料と含まれる範囲は?
拝観料は大人500円、中学生・小学生300円。チケットは書道風のお札型で持ち帰り可能です。料金には銀沙灘・向月台のある砂庭、苔の名園・錦鏡池庭園、銀閣と京都の街並みを見渡す山道の回遊コースが含まれます。年に数日のみ実施される銀閣内部の特別公開もあるので、公式サイトで日程を確認しましょう。
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